おぉきにおぉきに。

京都盆地の南の端っこでのんびり暮らす主婦のつれづれ。

『〈銀の鰊亭〉の御挨拶』を読みました。

『〈銀の鰊亭の御挨拶〉』小路幸也 著(光文社文庫)

 なんということでしょう、わたくし、小路先生の作品のほぼ全部の感想を書いてると思ってたのに何冊か抜けがありました……この『〈銀の鰊亭〉』もその一つ……書いた記憶がなくて慌てて旧宅確認したら記事が無くてびっくりしたわ……。

 まあ、この作品が新刊で出た当時は確か、パート勤めの雲行きが怪しくなってきた頃で心理的に不穏だったけど表面的には多忙で何が何だか分からなくなってきた時期だったんですよね……と言い訳。今回、感想書くのに再読して書影貼り付けようとしたら文庫版しか出てこなくて親本は新刊書店では入手困難になってるとかちょっと時間の流れ早すぎません?

★これより先はだいぶネタばれっておりますので、未読のかたは自己判断でお願いいたします。

 

 

 

 

というわけで親本(単行本)をじっくり再読しましたよ。

で、初読時に思ったこと、再読してもやっぱり思いました。

このお話、早川書房から発表された『壁と孔雀』と似た雰囲気があるなあって。

徹底的に隠されてきた秘密が暗く重く、それでいてミステリで名探偵が謎を解く手順を踏んでいるので、小路作品に共通する「家族」がテーマなんですがダークサイドに入る(と私は思ってる)『壁と孔雀』を連想したんじゃないかなと。

それと、思い出しました、私、初読時に、文さんが怖かった、んですよね……。

“にいっ、と笑う”という若い女性、実際あんまり見ないもので……。ちょっと違うかもですがピエロみたいな印象だった。ミステリでピエロってだいたい不穏なキャラじゃないですか?

 

北海道の名士の大邸宅で火災が起きて死者が出て、両親を助けようと火の中に飛び込んだ文さんは記憶喪失に。はっきり覚えていたのは甥の光君のことだけ。

すべて事故で処理された件、何やらスッキリしない刑事さんが一人で情報を集めてて、光君も大学進学と同時に〈銀の鰊亭〉こと青河邸で文さんと板前の仁さんと同居するにあたって秘密裡に依頼されてまずは静かに日々観察し始める。

文さんが女将として〈銀の鰊亭〉を再開するとまもなくやってきたのは昔からの常連さんと遠い親戚で、それぞれに何やら思惑があって探りを入れてきたりする。とにかく怪しいことだらけ。

 

火災は本当に事故だったのか。

身元不明の死者二人の正体と、当主夫妻との関係は?

常連客と遠い親戚はいったい何を隠していて、何を知りたがっているのか。

文さんが火災、もしくは事件に関わっているのかいないのか。

 

もし殺人事件だったとして被害者も加害者も全員が焼死してしまっていて、警察は早々に事件性なしで処理してしまったために大っぴらに捜査もできず、唯一の目撃者かもしれない娘の文さんは記憶がいつ戻るか誰にも分からない。

 

ただ、怪しい動きをする人達がそろそろと出てきて、文さんの記憶と引き替えに得た超感覚のような能力と記憶力、仁さんの忠義と、磯貝刑事の有能さと光君の頭の回転の速さ、そういったいろんなものの歯車が動き始めて。

 

導き出された推理の結論が、……えぐかった……これ、凡人だったらメンタル壊れるわ……。

玄蕃さんと晴代さん夫妻、ずっとずっと辛かったししんどかったと思うし事態がもうどうにもならなくなって覚悟を決めたとしても不思議じゃないし、そういう両親と一緒に暮らしてた文さんももちろんつらかったし、真相を一切悟らせなかった仁さんがこれまたつらかったと思うし、とにかくつらい。火の海の中ですべてを燃やしてしまおうとしたことと、すべてを打ち明けてしまえばよかったという後悔は無かったのかなと思った読み手の私との乖離が……真相を知ったことの方が誰も救われないというもう嫌だ書いてて涙が出てきた……。

 

〈銀の鰊亭〉で起きた火災は事故で決着しているのと、関係したと思われる人達にこれが真実なんでしょうと問いただすこともできず、そして本当の真実を知る人は光君たちが真相を掴んだタイミングですべてこの世からいなくなってしまって秘密の隠蔽は完成された。

 

よって、導き出された結論の答え合わせができない以上、「推理小説」の堅牢さは少々弱いけれども、私はこの作品はものすごく推理小説だと思ったです。磯貝刑事の冴えとロジックの精度の高さは探偵として素晴らしい。

 

ちょっと話が逸れますが、有栖川先生が講演などで仰っていたりすることの中に、「探偵は死者の声を聞く存在(超意訳)」というものがあるんですが。

この『〈銀の鰊亭〉』は、死者は死んでも語りたくなかった。真相を知ってほしくはなかった。

それなのに、真相に近づいた家族が死者の封印したはずの叫びを暴いてしまった。

真相を知られたくないのは普通は真犯人側なんですが、この場合、名探偵を人でなしだと詰るのは被害者側ってことになるのかな……。

 

身元不明死体についても序盤でちゃんと伏線張ってあるし(これについてはもう、ある人物のポーカーフェイスが完璧だったというしかないよね……)、光君を通して磯貝刑事がいよいよ本格的に乗り込んできたことで動いたアレとかコレとかの事態についてはエラリィ・クイーンのライツヴィルものをトレースされたのかな小路先生と思ったし、文さんの記憶喪失の原因というか何故そんな頻繁に会ってたわけでもないはずの甥っ子のことしか覚えてなかったのか、という理由がやり切れないし、昔つけていた日記に何もヒントが無かったのが結局ヒントのようなものだったとかもう……(普通は家族の誰某のこととかちらりとでも書くよね。それがまるっきり無かったというのは、文さんにとっての家族とは、って……)。

磯貝さんが退職を決意したことで、秘密の扉の鍵は下りた。もう誰も開けることは無い。

真相らしきものを知った後、文さんの記憶が戻ろうと戻るまいと、多分青河家と〈銀の鰊亭〉に混乱はないだろう。また、看板板さんだった仁さんがいない今後の〈銀の鰊亭〉は超一流料亭旅館のレベルを維持できるのかどうかについても仁さんの賄いを毎日食べていた文さんが超感覚になったことと仁さんが遺したレシピと、“これからはリーズナブルなランチという形態もやってみようか”というエピソードが活きてくるというこの着地点は、凄いなと思います。

 

もう続編が出ているので、その新作の中で光君や文さんや磯貝さん達が穏やかに笑っていてほしいなと心から思うのでした……(『磯貝探偵事務所からの御挨拶』買ってるんですがまだ読んでないのですすみませんこれから読みます)。